ブラキシズム:14

歯科医師・山田忠生

 

ブラキシズムには既製の、奇跡的な治療法はないーー治療計画は、それぞれの患者の状態に応じて決定する。目標は患者に治療、そして患者が自ら使える知識と手段を提供することで、患者に能力を与えることである。まだ発表されていない研究ではあるが、ブラキシズムに関連する(痛み、そしてあるいは機能的限界に伴う)咀嚼装置に機能不全に苦しむ約100人については、被験者の80%が自己管理哲学に基づくアプローチのおかげで60~100%の全体的改善を示した。この方法では専門家の援助はありながら――患者は自らの健康に一定の役割を果たしたのである。

 

 

パンキー歯科診業哲理:287

歯科医師・山田忠生

 

受付に入っていくと、受付秘書やスタッフと出会うことになる。受付秘書は笑顔とともに、やさしい言葉で応対しているか。うるさくて、せきたてるような話し方をしていないだろうか。安心感を与えてくれる声の調子だろうか、それともあなたは歓迎されざる人物のように感じていないか。

どれ程にあなたが有能で、安心感を与え、心遣いをもっていたとしても、スタッフが患者を冷たく扱ったとすれば、あなたへの患者の信頼感や尊敬の気持ちは減少するに違いない。新しい患者は、すぐに診たのか、それとも少し待たせたのか、あるいは30分以上も待たせるほどの無理なアポイントメントをしているのか。15分以上待たせたときには、患者はあなたに対して1~2点の減点評価をするであろう。治療室へ誘導するアシスタントは礼儀正しく、ユーモアもあり、安心感を与えているか。

 

 

 

シュースター「卓越歯科医業学」:234

歯科医師:山田忠生

 

診断書

診査と診断の後、患者に送る診断書の最初のページは、ボブ・バークリーが60年代後半に患者にあてた手紙に沿ったものである。これに私が書き加えて患者の問題となるところや、個人別に作成した治療計画がわかる事項を追加した。

次の何通かの手紙は、患者に伝えたい一般的なお知らせの例である。パンキー・インスティテュートのローレン・ミラーは、かつて私に「1ページ以内に書けないようなことは、誰も読もうとしない」と語ったことがある。基本的には彼の話したことは正しいだろう。私はほとんどすべての手紙を1ページで収めようと試みているが、どうしてもできないケースもある。

これらの手紙は、このようなスタイルのコミュニケーションが患者にとって有意義なものかどうかを判断する情報となるものである。私は開業以来、利用しているが非常に恩恵を被っている。

 

 

マークス「完全歯科医業学」:369

歯科医師・山田忠生

 

20ー1 教育のための時間をもたない患者

患者は歯科医師との最初の出会いの冒頭で、このように話した。「ワタシは勤めていますので、ほとんど時間がとれません。お話にムダな時間を使うよりも、それを仕事に使ってください。先生を十分に信頼していますので、必要な治療をしていただき、その上でご請求ください。」

多くの歯科医師はこのようにしてその気にさせられ、何をすることになるのか。そして互いの責任についてもほとんど患者と話すことなく治療を進めていく。このような外見上からは協力的な冠jあが、可撤性の義歯の装着を拒絶したり、あるいは請求書を受け取ってから、歯科医師がその金額に値するような何をしたのかと知ろうとするときには、歯科医師は驚いてショックをうけることになる。

歯科医師はあまりにも当然のことと思っていたので、気づくのが遅すぎるのである。患者の述べることを表面的にのみ受け止めることで、まさに患者の態度に危険性が含まれていることに気づかないのである。

 

 

デンタル・コミュニケーション:136

歯科医師・山田忠生

 

9:協力的な患者

患者に満足感を与えるためには、その必須条件の一つとして治療の期間中、患者からの協力が得られるということがある。協力的な患者とは指示に従う人、治療中に十分に開口状態を保てる人、処方通りに薬を服用する人、約束の時間を守る人、修復物や歯を適切に管理する人であるということができる。このようなタイプの患者は、歯科医師の治療や管理に協力的である。患者と歯科医師との間に協力関係をもたらす要因はいろいろあるが、次のようなことも考えられる。つまり相互の信頼、歯科医師の処置に対する患者の印象、患者の歯科医師への信頼感、相互の尊敬の気持ち、話し合えて理解し合っているという互いの気持ち、互いに”あなたが重要です”と感じ合っていることなど。

ここでは、信頼に焦点をしぼってみる。

 

 

バークリー予防歯科の概要:235

歯科医師・山田忠生

 

家族を1単位として扱えば患者の歯科的健康に関する理念はさらに展開し、予防歯科医学の実践が日常生活にさらにうまく組み入れられる。それにもかかわらず、ほんのわずかの貧困者の子どものためのプログラムが家族全体を対象として準備を進めているに過ぎない。もちろん多くの場合、家族は完全ではないが、母親と子どもたちだけででもグループとして扱おうとする努力さえ、ほtんど見られないのである。どのような子どもたちとであれ、うまく協力していくならば歯科医師はその母親に親しく働きかけ、さらに母親自身の口の健康に気を配るよう援助しなければならない。貧困家族の子どもたちからは他の階層ほどの反応を期待することはあまりできないが、もちろん母親の身代わりとなるものがプログラムに出されれば話は別である。

歯科に従事するものは現在だけではなく、数年後においても家族が彼らに何を求めているかを知る必要がある。私たちは家族の内省を過去、現在、未来の歯科的健康と、家族の個々の人の生活上の意義も考慮するように導いていかなければならない。そのプログラムは家族の一人一人が自分自身の健康に対する責任感を育てることに努力を集中しなければならない。この責任感が定着するようになれば、家族は疾患コントロールの指導を要求し、長期的な疾患コントロールのためのプログラムを開始するようになるのである。しかし、この責任感をカウンセリングによって向上させない限り、予防教育の成果は少ないであろう。

 

 

ブラキシズム:13

歯科医師・山田忠生

 

ブラキシズムは減少させることができるか?その方法は。

私は歯科医師、理学療法士、整骨医、そして言語療法士が肩を寄せて働く学際的な現場で仕事をする機会をもっている。それぞれの専門家は問題に関して、それぞれが独自の最適な考えを認めている。例えば歯科医師は診断を規定し、責任のある要因について説明、患者の意識を高めて、治療計画を確立するのに役立てる。理学療法士は筋肉の観点で取り組み、筋肉をリラックスさせることや、それが通常の長さにもどるように援助する。筋機能言語療法士は咀嚼システムを再訓練して、自己管理のできる道具を提供する。整骨医は筋骨格系と、その問題の栄養面に焦点を当てている。水門テストは家庭でも、病院でも実行可能である。診療所の外では、私たちは睡眠科医、心理学者、精神科医、そして矯正科医と協力している。場合によっては自己催眠や、瞑想手段も伝えることができる。

 

 

パンキー歯科診業哲理:286

歯科医師・山田忠生

 

あなたが普通の人間であったとすれば、清潔で整理され、穏やかな中にもプロ意識のただよう雰囲気のある環境には、安心感を抱くであろう。いよいよ新しい患者として受付へと歩いていく自分を想像してみよう。どのような感じがするだろうか。どのような印象をもっただろうか。どのように見え、音や香りはどうだろうか。きちんと整理されており、上品な感じがするだろうか。調度品はよく手入れしてあり、快適なものか。照明はどうだろうか。最新の雑誌や本がそろっているか。音楽がかかっているか。その音楽はリラックスできるものだろうか。受付やスタッフの声が大きすぎないだろうか。気楽にすわっていられるか。それとも逃げ出したい気持ちに駆られるだろうか。この経過中は正直に見つめていくべきである。第一印象は非常に重要なものであり、受付周囲は新しい患者があなたに抱く最初の視覚的印象といえる。

 

 

ザ・デンタルフィロソフィ:162

歯科医師・山田忠生

 

協働して働き、最高の業績を上げるという責任を人々が受け入れように動機づけられたとき、その組織は一層大きな成功を収め、生産性も向上するのである。

卓越性の水準を維持する責任は、その仕事を遂行する人に委ねられている。その人が目標を達成しようとしている限りは、望み通りの方法で決定させて、そして仕事をさせるべきである。というのも、人間は大きく成長する可能性をもっとぇいるものであり、重要な責任のあることをまかせて、自分の行動に責任をとらせることが、結局は良い結果を産むのである。経費が上昇を続けるようであれば、3~4か月ごとに費用を検討しなおして、事情によっては修正することもやむを得ないだろう。

 

 

デンタル・コミュニケーション:135

歯科医師・山田忠生

 

以上はすべての基本的な要因を含んだものである。話し合いをもった上で終了するということはムダがなく、また患者の感情的な気持ちを取り除くものである。そして、将来を見通した話し合いであるべきである。再び必要な治療計画を述べ、患者に希望すること、そして避けてほしいことを知らせる。患者二とっては質問をすることや、指示をはっきりと聞き返す機会ともなる。

人が別れにもつ共通した感情としては悲しみ、怒り、そして感謝の気持ちがある。要を得た、このような言葉がある。”別れは悲しく、狂おしく、また楽しくもあり、悪くないものだ。”ときには恐怖や、驚きの気持ちをもつこともある。究極の別れは死である。上述の感情はのちに残された友人や、親族にみることができる。当然のことながら患者が診療を終えたときには、死による別れに伴う感情ほどのことはない。しかし、歯科医師、患者、アシスタント、受付などかかわりをもった人々は、多かれ少なかれこのような感情を抱くものである。それは、それぞれの親密度や関わりの程度によって異なってくる。