歯科医師・山田忠生
著者が使用した器具の中では、抜髄針ほどねじ切れてしまうものはなかったが、ときには壊れてしまうものもあった。その場合には、「申し訳ありませんが、あなたの歯には太刀打ちできませんでしたので、抜いてしまうことにします。」と、患者に知らせることになる。
「はい、少なくとも試していただいたのですから。」と患者は返答して、方針の変更を快く認めたものだった。その歯を失う落胆ぶりは、一度は救おうとした後だけにことさら大きなものであった。
歯科医師は、歯内療法に対する姿勢を再検討してみるべきである。簡単な方法であれば、どのような診療形態においても組み込むことができる。現在、複数回のアポイントメントを行っている人は、1回のアポイントメントですることを考慮してみるべきである。歯の治療のやり過ぎは間違いなく減少し、それによって時間的余裕ができれば、より多くの人を診ることに充てればよいのである。
歯科大学は、歯内療法学に対する教育姿勢を顧みる必要がある。事実、膿疱を形成した歯に対する態度は再考が必要とされている。というのは、それが卒業生の習慣や哲学の形成のカギとなるものであるからである。