宝塚アートマラソン’04・ヒストリー:11

歯科医師・山田忠生

まったく現象としては異なる次元の話であるが、さまざまな課題を抱える「宝塚」の都市としての在り様も、さかのぼればどこまでもその要因をたどっていくことはできるだろう。そして、不透明となり、解決不可能な大きな問題となり、今を生きる個人の力ではどうにもならないとう結論とともに、思考停止状況に陥り、結果、何にもできなくなり、不満が残り、あきらめが生じる。

私は「宝塚らしあ」を大きく失ってきた時点を、多くの人びとの記憶に新しい1995年に置く。もちろん、ボランティア活動が活発になったのは阪神大震災の結果であることは事実であり、さまざまにプラスの変化も見受けられる。しかし、ものの豊かさより、心の豊かさの大切なことを実感したと言いながら、前後して起こった長引く不況とともに、ものの豊かさを追い求めにくくなると、心の豊かさの充足も置き忘れたような事件(個人レベルから企業、国家にいたるまで)が多発することは、どうしたことだろうか。

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